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神の子らは、過去、現在、未来にわたって宇宙に存在するすべての道理をわきまえた被創造物を含めて、
宇宙それ自体以外のいかなる祖国をもこの地上において持つべきではありません。
宇宙にこそ、われわれの愛を要求する権利のある故里の国があるのです。

宇宙ほど大きくないものが、いくらでも拡大されうる諸義務を課すのですが、
その中に愛する義務は見当たりません。少なくとも私はそう信じます。
知性と関連のあるいかなる義務もそこにはないと私は深く信じています。

われわれの愛は全空間を通して太陽と同じ広がりを持ち、
空間のあらゆる部分において太陽の光と同じ均等性を持たなければなりません。
光が差別なしに配分されているさまを模倣することによって、
天なるわれわれの父の完全さに到達するよう、キリストはわれわれに命令されました。
われわれの知性もまた、この完全な公平さを持たなければなりません。

存在するもののすべては、その存在の中で、神の創造の愛によって等しく支えられています。
神の友は、この世のものに対して、
自分たちの愛を神の愛と混同するところまで神を愛さなければなりません。

魂が全宇宙を等しく満たすような愛に到達致しましたなら、
この愛は地上の世界という卵を突き破って出てくる金の翼をもった雛鳥となるのです。
それから、この雛鳥は、宇宙の内側からではなく宇宙の外側から、
一番初めに生まれたわれわれの兄弟である神の知恵が宿る場所から、宇宙を愛するのです。
このような愛は、神の内側にあるのではなく、神のもとに属する存在やものを愛するのです。
その愛は、神の側にあって、その場所から、神の視線と混同した視線を下して、
すべての存在やものの上に注ぐのです。

(シモーヌ・ヴェイユ / 神を待ちのぞむ)




あなたが卵の闇から真理の明るみに出るためには、ともかく一枚の殻に穴をあけさえすればよいので、
しかもあなたはすでにその殻をつつき始めていらっしゃるのです。
卵、それは可視的なこの世界です。雛、それは<愛>、神そのものである<愛>、
どんな人間の奥底にも、最初は目に見えない胚種として宿る<愛>なのです。
殻に穴がうがたれ、生きものが出てきたとき、まだそれはこの同じ世界を対象としてもっています。
しかしもはや殻の中にはいません。空間は開け放たれ引き裂かれたのです。
精神は、あわれな肉体をかたすみに置き去りにして空間の外の一つの点に運ばれます。
それは一つの視点といったものではありません。そこから展望が開けているわけではないのです。
そこからは、展望なしに、可視的なこの世界の、現実の姿を見ることができます。
空間は、卵の中にいたときと比べて、二乗の、いやむしろ三乗の無限になっています。
瞬間は不動のものとなります、たとえ音が聞こえたとしても、
空間はおしなべて密度の濃い沈黙で満たされます。それは音の不在ではありません。
もろもろの感覚の確実な対象、音より確実な対象なのです。
秘められたことば、原初から私たちをその腕に抱いていた<愛>のことばなのです。

(シモーヌ・ヴェイユ / カルカソンヌの一夜)