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宇宙全体が、私の足元の小石から、いちばん遠くにある星にいたるまで、
あらゆる瞬間に私のために存在していてくれるように。

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自分と世界との関係を変えていくこと。
ちょうど、修行によって職人が自分と道具との関係を変えていくように。
ケガをすること、それは、職業が体にくいこむということなのだ。
あらゆる苦しみが宇宙を肉体の中に入りこませることになるように。

習慣、熟練、意識が今持つ体と違う対象の中に移っていくこと。
その対象が、宇宙であるように。季節、太陽、星などであるように。

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肉体の生命のリズムを、世界のリズムとつながりあわせること。
このつながりをふだんに感じ、また、物質がたえず入れかわって、
人間がこの世界の中にひたされているさまを感じること。

生きているかぎり、なにものも人間から奪い取ることのできないもの。
意志の支配下にある運動としては、呼吸。認知できるものとしては、空間。
(たとえ、土牢に閉じ込められ、目をえぐられ、鼓膜が破れていようとも、生きているかぎり、空間は認知できる)。

私たちは、いかなる状況によっても、思考が奪われることがないようにと願っているのだが、
その思考を、こういった事柄に関連づけること。

(シモーヌ・ヴェイユ / 重力と恩寵)





リズム。どんな生活形態のなかにも、愛するべきリズムがある。
どんな生活も、それがどれほど人為的なものであろうと、天空の一日の回転運動と四季とに結びついている。
それなくしては、人間は死んでしまうであろう。
このリズムによって、人間は依然として太陽や星辰に結びつけられている。
盲人の杖によるのと同じように、このリズムを介して太陽や星辰を感じ取ること。

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労働。自己自身の全体で世界の存在を感じ取ること。
機械的でない労働によって世界と直結するときに感じるもの……人は真の生活がそこにあることを直観し、
世界が存在すること、人は世界に生きていることを、全存在によって感得する。

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泳ぐ人間が海でそうするように、己の感覚的全表層を通して、愛される存在を知覚すること。
その存在という宇宙の内部で生きること。

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それぞれの感覚を通して、宇宙を感じること。

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世界との接触は歓びである。

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世界はいくつもの意味を含んだテキストである。
労働を通じて、人はある意味から他の意味へと移行する。
労働にはいつでも身体が参加する。
ちょうど、外国語の字母を習得するとき、文字を何度も書いているうちに、
字母が手のうちに入ってしまうにちがいないように。
こういうことがないかぎり、いくら思惟の方法を変えてみたところで、それは幻想にすぎない。

(シモーヌ・ヴェイユ / カイエ1)





宇宙は、私たちが愛しうるものであるがゆえに、また、美しいものであるがゆえに、まさに故国なのである。
宇宙は、この世における私たちの唯一の故国である。
こういう思想が、ストア派の智恵の本質である。私たちには、天の故国がある。
しかし、ある意味では、天の故国は愛することが大へん難しい。
私たちには、それがどういうものかよくわからないからである。

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人間は誰でも、この世にあっては、何かの地上的な詩によって根づけをされている。
この詩が、天上の光を映し、人間の普遍的な故国とのつながりになっていて、
そういうつながりは多少の差はあれ、ひそかに感じられているのである。
不幸とは、この根が絶たれることである。

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筋肉労働は、世界の美しさと触れ合う特別なありかたであるが、それが最もうまくいった場合には、
何かにこれに匹敵するものが見出せないくらいに完全な触れ合いとなることがある。
芸術家、学者、思想家、瞑想する人などは、
非現実的な薄皮のおおいを通して宇宙の姿がありありと見えていなければならない。
その薄皮のために、宇宙は隠され、大ていの人々にとって、生涯のほとんど全時期を通じて、
宇宙は、夢の世界か、劇の背景のように見えるのである。
芸術家などは光のように見えていなければならないのであるが、そのように見られない場合が多い。
一日の労働のために、つまり、一日中物質に従属して過ごしたために、体中がへとへとに疲れ切った人は、
いわば、その肉体に、宇宙の現実を"とげ"のように抱いている。
そういう人にとって困難なことは、見つめることであり愛することである。
それができたら、現実にあるものを愛することができるようになる。

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究極的なものがなく、とくに意図がないということこそ、世界の美しさの本質であるから、キリストは私たちに対して、
雨や太陽の光が正しい者の上にも悪人の上にも区別なしにそそがれるさまを見よと命じられたのである。
このことはまた、プロメテウスの崇高な叫びをも想い起こさせる。
「すべての人のために、同じ一つの光があり、天の定めによって回転する。」
キリストは、こういう美しさを学ぶようにと、私たちに説いておられるのである。
プラトンもまた、ティマイオス篇の中で、じっと思いをこらすことにより、私たちがこの世の美しさと相似た者となるように、
また、昼、夜、月、季節、年を次々と生起させ、循環させる回転運動の調和に相似た者となるように、すすめている。
こういう回転運動においても、その全体の仕組みの中には特別な意図や究極性がないことは明白である。
そこには、純粋な美しさが輝いている。

(シモーヌ・ヴェイユ / 神を待ちのぞむ)