



純粋さとは、汚れをじっと見つめうる力である。
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極限の純粋さは、純粋なものをも、不純なものをもじっと注視することができる。
不純は、そのどちらもができない。
純粋さは、かれ(人間)をおそれさせ、不純は、かれを呑みこむ。
かれには、このふたつを混ぜ合わせたものが必要である。
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わたしたちの内部にある、卑しい、凡庸なものはすべて、純粋さにそむくものであり、
みずからの生命を失わないために、純粋さを汚すことを必要としている。
汚すのは、変化させることであり、触れることである。
美しいものとは、変化させようと思うことのできないものである。
なにかに対して力をふるうのは、汚すことである。
所有することは、汚すことである。
純粋に愛することは、へだたりへの同意である。
自分と、愛するものとのあいだにあるへだたりを何より尊重することである。
(重力と恩寵)
目的を持たぬ努力のみが純粋である。
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人間とは権能と受動性との混合物である。
そして、被造物でありかつ部分的な存在であるから、まったく受動性の中にしか純粋性を見いだせない。
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一般的に美が善の似像であるように、純粋さはへりくだりの似像である。
へりくだりは完全に超自然的な唯一の徳である。
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人間の中で、その自然性がいっさいの肉の衝動から切り離され、盲目となり、
あらゆる超自然的な光を奪われてもなお、
超自然的な光の現存によってはじめて突き動かされてするような行動にも似た行動を行いうるとするなら、
それこそ純粋の極みなのである。
(カイエ2)
力を振るうことも被ることもない。これぞ独自の純粋さである。
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絶対的な純粋さは力との接触を完全に断つことである。
絶対的な純粋さは力を被ることも振るうこともない状態である。
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力を賛美しない文明。
それらの文明において現世的なものは架け橋だからである。
彼らは魂の状態のうちに強烈さを求めることもない。
彼らは情感の純粋さを愛するのである。
力の影響を免れているものは純粋である。
彼らにとって愛は純粋な願望であった。そこに征服の意欲はない。
人間が神に抱く愛はそのような愛である。
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純粋さは悪を浄める。
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誕生と死は人間存在の純粋さの変質である。
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裸性と完全な純粋さの瞬間は人生において二度しかない。誕生と死である。
嬰児もしくは死に瀕した人間を崇敬するのでなければ、
神性を穢すことなく人間の姿かたちをした神を崇敬することはできない。
(カイエ3)
純粋さに逆らう内面の不順さを打ち砕く必要。
しかしわれわれの内なる凡庸さは生きながらえようとして自衛する。
それで純粋さを穢す必要を覚えるのだ。
力を行使することは穢すことだ。所有することは穢すことだ。
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人間の魂は、水と息吹からなるとき、絶対的に純粋であることも可能である。
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純粋さは悪を惹きつける。
悪は焔に跳び込む蛾のように純粋さにまとわりついて滅びる。
すべては火を通らなければならない。
しかし焔となった人々には火が常住の場である。
それにしても火となるには地獄を通ってきたのでなければならない。
(カイエ4)


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