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人間たちとではなく、自然と相対すること。それが唯一の修練である。

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自己自身の全体で世界の存在を感じ取ること。
自己自身の全体で他者の存在を感じ取ること。
ただし、欲望も官能そのものもないという条件において。
快楽ではなく、歓び。
歓びは実在の感覚以外のものではない。

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星々と花咲ける果樹。
完全なる永続性と極限の脆弱性は等しく永遠性の感情をもたらす。

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宇宙そのものと一体化すること。
宇宙より小さいものはすべて、苦しみに服している。
私が死んでも、宇宙は持続する。私が宇宙と別のものであるならば、死は慰めにはならない。
だが、宇宙が私の魂にとって、もうひとつの身体のようなものだとしたら、
私の死は私にとって、見知らぬ人の死以上の重要性をもつことをやめる。私の苦しみについても同じである。
私にとって、宇宙全体と私の身体との関係が、盲人の杖とその杖をもつ手との関係に等しいものであるように。
盲人はもはや、自分の手に感覚をもつのではなく、杖の先端に感覚をもっているのだ。

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意識を自分自身の身体以外の対象のなかに移し入れること。
その対象が、宇宙、四季、太陽、星辰であるように。
空間を感じられるように。

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世界との接触は歓びである。

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リズム。どんな生活形態のなかにも、愛するべきリズムがある。
どんな生活も、それがどれほど人為的なものであろうと、天空の一日の回転運動と四季に結びついている。
それなくしては、人間は死んでしまうであろう。
このリズムによって、人間は依然として太陽や星辰に結びつけられている。
盲人の杖によるのと同じように、このリズムを介して太陽や星辰を感じ取ること。

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世界はいくつもの意味を含んだテキストである。

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宇宙を神の作品とすること。
宇宙をひとつの芸術作品とすること。

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自分自身の持続がまた宇宙の時間でもあることを感じること。

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名称も形態もない。
星々を散りばめた天空を眺める。
星くず、形の定かでない星くずを眺めるだけではなんでもない。
しかし、形態を見ることはより低次の知覚である。
形態なき秩序を見なければならない。星々や星座の名称についても、同じことだ。
高きにあるものは、低きにあるものに似ている。

(カイエ1)




どうか人間の魂が、全宇宙を体とみるまでになるように。
魂と全宇宙との関係が、収集家とそのコレクション、
また「皇帝陛下万歳」と叫んで死んでいった兵士のひとりとナポレオンとの関係と等しくなるように。

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自分と世界との関係を変えていくこと。
ちょうど、修行によって職人が自分と道具との関係を変えていくように。
怪我をすること、それは、職業が体にくいこむということなのだ。
苦しみのたびごとに、宇宙が体のなかにくいこんでくるように。

習慣、熟練、意識が今持つ体とは違う対象の中に移っていくこと。
その対象が、宇宙であるように。季節、太陽、星などであるように。

体と道具との関係は、修行しているうちに変わってくる。
体と世界との関係を変えなければならない。

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肉体の生命のリズムを、世界のリズムとつながり合わせること。
このつながりを不断に感じ、また、物質が絶えず入れ替わって、
人間がこの世界の中にひたされているさまを感じること。

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生きているかぎり、なにものも人間から奪い取ることのできないもの。
意志の支配下にある運動としては、呼吸。認知できるものとしては、空間。
(たとえ、土牢に閉じ込められ、目をえぐられ、鼓膜が破られていようとも、生きているかぎり、空間は認知できる)。

私たちは、いかなる状況によっても、思考を奪われることがないようにと願っているのだが、
その思考を、こういった事柄と関連づけること。

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世界に起こるひとつの出来事を承認できないということは、世界が存在しないのを望むことにほかならない。

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宇宙全体が、私の足もとの小石から、いちばん遠くにある星にいたるまで、
あらゆる瞬間に私のために存在していてくれるように。
アルノルフにおけるアニュス、アルパゴンにおける貯金箱と同様に。

もし私が欲するなら、世界は私のものとなるかもしれない。財宝が守銭奴のものとなるように。
だが、それは増えない財宝である。

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私の中にはいまだかつて喜びがなかったといって、それがなんであろう。
神の中には尽きることなく、完全な喜びがあるのだから。
美、知性、その他あらゆるものについても同じだ。

(重力と恩寵)