



独りでいることを学べ。
それだけが真の友情を得るにふさわしい。
晴朗に心楽しく独りであることを学べ。
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お前は自分の前に、世界全体、生命全体があることを決して忘れてはならない。
お前にとって生命は、おそらくいかなる人間にとってよりも真実で、充実して、
喜びに満ちたものであり得るし、またそうでなければならない。
いかなる諦めによっても、前もってそれを損なってはならない。
いかなる情愛によっても、それを牢獄につないではならない。
お前の孤独を守り通せ。
いつかその日がくるとして、ある真実の友情が与えられるであろうその日、
逆に、内心の孤独と友情とのあいだには対立は存在しないであろう。
お前はこの誤ることのないしるしにおいてそれが友情であることを認めるであろう。
(カイエ1)
孤独の中で神を愛する魂は、孤独の中で、すなわち仲立ちなしに、神に愛される。
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孤独のうちにではなく、俗世のなかに―ギリシアの彫像のように、純粋で、美しく、完全な生が存在するか?
あるいは、そのようなものとしての行動がただひとつでも存在するか?
(カイエ2)
孤独。
孤独の価値は、いったいどういうところにあるのか。
単なる物質(空、星、月、花の咲いた木などにしても、みんなそうだ)、
人間の精神よりは(おそらくは)価値の低いものばかりを前にたたずんでいるにすぎないというのに。
その価値は、注意力を働かせる可能性が、いっそう多いという点にある。
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この世から脱し、むなしくなること。
しもべ(奴隷)の本性を身にまとうこと。
時間と空間の中で自分の占めている一点にまで小さくなること。無になること。
この世の架空の王権を脱ぎ捨てること。絶対の孤独。
そのとき、人はこの世の真実に触れる。
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友情についての夢想を、きっぱりと跳ね除けるすべを学ぼう。
友情を望むのは、非常な誤りである。
友情は、芸術や人生がもたらしてくれる喜びと同じ、価なしに与えられる喜びでなくてはならない。
そういう友情を受ける値打ちのある者となるために、友情を拒否しなくてはならない。
友情は、恩寵の次元に属するものなのだ。
友情は、余分として与えられるものの一つなのだ。
友情についてのすべての夢想は、打ち砕かれるに値する。
あなたがいまだかつて愛されることがなかったのは、偶然ではないのだ…
孤独を逃れたいと望むのは、卑劣である。
友情は求められるものではなく、夢見られるものではなく、望まれるものではない。
友情は、行われるものだ(それは、徳の一つだ)。
不純で錯乱した、こういう余計な感情をすべて捨て去ろう。
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どんな愛情にもとらわれてはいけない。孤独を守ろう。
もしいつか、真の愛情が与えられる日がくるとしたら、そのときには、
内なる孤独と友情とのあいだに対立はなくなっているだろう。
いや、この間違いのないしるしによって、あなたは友情をそれとはっきり認めるだろう。
(重力と恩寵)


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